2011年08月24日

デジタル時代の恐怖

私どものホームページが、この数日アクセス不能になったお詫びをトップページで申し上げましたが、その原因について判明したことで、いろいろ思うことがありお伝えしたいと思います。このホームページは、友人がボランティアとしてご努力いただくことにより成り立っています。そしてメンテナンスは、その方のお力を借りながら私も含めてスタッフが行なっております。いわば手作りのホームページです。私は、多少こういったことに詳しい方ですが、勿論素人です。ホームページを作るには、それを置いておくサーバーが必要ですし、アドレスを管理することも必要です。たいていの場合は、それらを代行する会社に依頼します。簡易な場合は、それらがセットになっています。つまり一つの会社と一つ契約をしていればいいわけです。我々のホームページは、旧来のものも裏側に存在したり、多少複雑になっています。レンタルサーバーとアドレス管理は同じかと思っていたら、同じ会社だけど部門が違ったようです。しかもその管理費を年間払いします。数ヶ月前と数日前に期限切れの警告メールがきます。今回はレンタルサーバーの会社(H社)から8月末で期限ですというメールが着ました。気がついてよかったとひやりとしましたが、私がネットで送金し、ことなきを得たと思ったその日の夕方から不通となったわけです。H社からは「入金確認のお礼メール」が届いています。私はこのH社がホームページの管理の全てだと思っていましたから、訳が分かりません。おまけに私どものアドレスでアクセスすると、怪しげな画面が出ます。「関連検索」「スポンサー企業」とのタイトルで、商業的美容外科など商売的医療を全面に打ち出したような名前がずらりと並ぶ、もっとも苦手とし私どもの事務所のポリシーとはかけ離れたような画面がしつこく出てきます。早くなんとかしなければと焦って、ボランティアの友人の手も借りながら調べました。この嫌な画面には「MMドメイン社」の名前があったので、H社とともにメールにて問い合わせしました。電話での問い合わせが出来ないからです。返事は、まったく機械的なものでした。いろいろ調べた結果、アドレス管理費は、同じH社でもMM部門が管理していて、別に支払うことになっていることが判明しました。年間950円という費用です。それが8月21日で期限切れだったわけです。お知らせメールが届いていたのか、大変な努力をして調べましたが見当たりません。その原因もようやく判明しました。MM部門への登録とH社への登録と2種類あり、前者に登録していたアドレスが古いアドレスのままであったのです。メールが届かないなら、そういうときのために住所や電話番号など個人情報を登録しているのではないのか?という問い合わせには返事もいただけませんでした。自己責任で管理しなさい、ということでしょうが、ネット社会のこの世の中、あちこちでメールアドレスなどを登録していて、こういった失念はありえます。提供する側のプロのシステムにはそれをカバーする優しさが欲しいと思うのですが、そんなことを考えていたら薄利多売の商売がなりたたないのでしょう。

いずれにしろ、ようやく原因が分かり950円を振り込みました。しかし、半日しても回復しません。一部の地域では回復していたようです。世界中にあるアドレスを管理するポイント(DNSといいます)によりタイムラグが生じるということです。こんな面倒なことになるのに、1日たりとも期限が切れると、連絡の努力もせずに回線を切ってしまう冷たいシステムに驚きました。

このように、ネット社会ではまるで血の通わないロボットのような仕組みが働いています。そしてその仕組みを理解できない人々がほとんどです。情報操作はもしかすると今までのテレビなどのアナログマスコミより危険かもしれないと今回の事件を通じて思いました。

それにしても私どもの「主侍医倶楽部」のサービスは、世界中のあらゆる倶楽部サービスで最高の親密丁寧さだなあと思いました。全てのメンバーの顔パスどころか声パスといってもよいほです。超一流のゴルフクラブでもありえません。有り難いことに「そんなことでは商売にならないでしょう」とクライアントの方々から逆に心配されています。 私のこれからの役割は、こういった誠意と熱意を込めても発展的な(緩やかな)ビジネスモデルが成り立つことを示したいと思っています。

2011年08月08日

「縮退」現象について

僕の医師仲間はまっこと多彩なのですが、その一人に小池弘人ドクターという方がいます。小池先生は東京四谷で統合医療を自ら実践されています。つい先日、先生の近著「統合医療の考え方活かし方」という本をご恵送いただきました。この本の中に、先生が統合医療に至った経緯は詳しく書かれています。

読み進めていくと、医療の底辺を流れる本質がちりばめられていると思いましたが、中でも「縮退」という概念を引用されている一文に目も心も止まりました。「一部の人やものの間だけをお金やものが循環しつつもだんだんと狭い場所に集中して早く回っていくさまを、物理学者の長沼伸一郎先生は「縮退」と呼んでいます」これは引用の引用となってしまいましたが、意味深い解釈だと思います。小池先生は、あらゆる分野で縮退が生じていると言及されています。僕も全く同意見です。世の中はこのとてつもない「縮退」と呼ばれる危険領域に向かって加速している恐怖を感じています。いつ破局が訪れるのか?原発事故などもこの一つではないでしょうか。

この本のメインの主張のひとつに「統合医療ではきづきと覚悟が必要」と書かれています。僕のライフワークである「医療判断学」も同じだと思っています。何事もいいとこ取りは出来ませんから「覚悟」が必要でしょう。物事を判断して決断していくリーダーにこそ「最高に厳しい覚悟」が必要なのに、日本の政治家も大企業のトップたちをみていて「覚悟」が出来ていないさまが情けなく惨めっぽく感じるのは僕だけでしょうか?

この本の中でもうひとつ「部分を集めると全体になる」という要素還元主義への批判が書かれています。「良い部品を集めるだけでは決して素敵な車は作れない」とカーマニアの僕が昔から主張していたこともそうでしょうが、医学や政治判断などシビアな分野では特に大切な基本的心構えだと思います。

 

2011年04月27日

東日本大震災に教えられたこと15 日本は二つになってしまった

「頑張ろう日本。日本はひとつ」というかけ声に水をさすような題名を付けてしまったが、おおよその日本人は、そのように感じているからこそ「日本はひとつ」と叫んでいるのでしょう。でも、現実は「被災者」と「非被災者」という厳しい2極化をしてしまったと感じているのは僕だけではないでしょう。勿論、「明日は我が身」かもしれない運命の厳しさは誰にでもつきまといます。被災者の方々にとって「日本はひとつ」とただ叫ばれても複雑な思いを持つのではないでしょうか。

震災前の不景気を評して、「上流社会と下流社会の2極化」も言われていました。こういった大きな2極化が好ましくないということから、今回も「日本はひとつ」というムードをかもし出したいと多くの人が思っているのでしょう。

僕自身の考えもこういった2極化に憂慮しています。文明が発達しすぎて、経済活動も複雑化のあまりの単純化現象を起こし、「勝ち組」と「負け組」がはっきりしてきました。それが「上流社会」と「下流社会」にそのまま翻訳されそうになっていたのです。そうなると、経済活動の勝ち組は、少し知恵を巡らした「搾取組」が「勝ち組」であり、それ以外は「搾取される組」または「経済的裕福に価値を認めない人々」が「負け組」となる2極化が加速されました。企業家のみならず、スポーツ選手、医師や弁護士、芸術家の領域までそういった2極化が進みました。「大量の利益を出すか出さないか」「賞金を稼ぐか稼がないか」「神の手かそうでないか」「絵の値段が高いか安いか」

なんとつまらないことでしょうか、と僕は思います。

では「みんな一緒のひとつ」がいいかというと、それもつまらないでしょう。僕の考えは「緩やかな若干複雑な多極化構造が人間として面白味がある」ということです。僕は建築物を見るのが好きですが、前にも書きましたように、「バカの一つ覚えの高層建築の乱立」には辟易としています。

話しを元に戻しましょう。まことに遺憾ながら「被災者」と「非被災者」の二つに分かれてしまった現在、それぞれの出来ることは違います。それぞれの立場で、日本を復旧(東日本を復旧し、日本人のマインドを復興)していくことに貢献したいという思いは強いのだと察します。そのためには「非被災者」こそ、この二つに分かれた運命を認識し受け入れ、過剰に怯えたりするのでなく、一時的な高揚での一時的ながんばり活動ではなく息の長い日常への思いを育むことが必要だと自分を戒めています。「被災者」の方々は、否応なくそして立派にその歩みを既に始めていると僕にはそう感じています。

2011年04月04日

東日本大震災に教えられたこと14 孫さんも続きました!

有名スポーツ選手に続き、ソフトバンクの孫さんもさすがの「私的100億円寄付とこれからの役員報酬全ての寄付」を発表しました。こういった輪が広がることが復興のマインド的な好影響があるでしょうし、経済の活発化にとっても重要でしょう。経済的に2極化が進むと、ますます消費が滞ることが予測されますが、こういった形で富裕層の不活動貯蓄が放出されていくことはたいへんな経済効果があるでしょう。現在の企業活動で成功者を自認する人は、孫さんに続いて欲しいと思います。孫さんとは昔何度かお目にかかりましたが、今後の日本のためにもボランティアで是非主侍医を引き受けたいものだと思います。

2011年03月31日

東北関東大震災に教えられたこと13 隣人と力を合わせなさい!

被災者の方々の様子を拝見していると、頭の下がることばかりです。東北地方の人々の素晴らしさは、今や世界的な評価です。しかるに、我々東京人等、非被災者は全く評価されていません。むしろ買いだめや、エネルギー過剰消費で冷たい視線を浴びているくらいです。被災者の方々をみていると、悲惨なめにあっているのに譲り合ったり、助け合ったりしているのがごく自然に映ります。我々東京では、マンションの隣に住む人の顔も知らなかったり挨拶さえもしません。これでは助け合うどころではありません。ある防犯学者は「近隣の人たちが顔馴染みであることが、最大の防犯につながります」と話されていたことを思い出します。身近な人々と助け合い、喜び合うといごく普通のことを忘れ去ってしまっていたのではと深く反省しています。

身近な人から信頼の輪を広げることは医療の分野でも大切だと痛感しました。

東北関東大震災に教えられたこと 12 遼君ありがとう!

このシリーズ第5回目に「石川遼君、昨年の稼ぎをみんな寄付してはどうだろうか?」と提案しましたが、まるでそれに呼応してくれたかのように、昨日、「今年の全賞金を被災者のために寄付する」と宣言してくれました。日本を代表する人気者が率先して、若干の(?)自己犠牲を伴った支援をする模範をしくれた意義は大きいと喜んでいます。イチローはいつもながらいち早く名乗りをあげましたし、松井も続きました。

実業界ではあまり出現しないのは残念です。庶民から稼いだお金を元に政治家になろうとしている人もいるようですが、偉そうなことを言っているようでも何もしない。そんな人の選挙スローガンはやはり驚くほど稚拙です。もし、都民がそんな者を選ぶようなら、東京に三くだり半を差し出そうと密かに決意しています。

僕など庶民の間でも、今回の義援金への参加の多さには驚きますが、残念ながらインパクトは小さい。我々小額の寄付しか出来ない者にとって、額の問題ではない、支援の気持ちを実行する意義は大きいのだと自分を慰めるのですが、、やはり国民的英雄が模範を示すことは影響力が段違いです。言わして頂ければ、多少の贅沢をする以上の稼ぎはこういった時に使うためにあるのではないでしょうか?

日本は、通常においても大型の寄付行為が少ないと思っています。だからこそ所得上限論を主張しています。日本人は稼ぐのが好きだが、使い方が全くもって下手でだらしない、と日頃から感じています。どれくらいの資産を持っていれば老後が安心で、どれくらいの遺産を子供たちに残したいというのでしょうか?いくら残しても子供たちは幸せになりません。多くの実例を目の当たりに見てきました。それよりも、美しい使いっぷりを子供に見せてあげた方が、よほど子供たちにとって幸せなことでしょうか?

老後の不安のための過剰な貯蓄には、我々医療関係者も責任の一端があります。北欧等に比べて、日本の福祉の量もそうだが、質の低さがそうさせているのです。不安だから過剰な反応をするのです。買いだめや風評行動も同じでしょう。

お金がそうそうなくても、充分な安心と幸せな日々を過ごせるという社会作りが大切だと思っています。その一翼を担いたく、安心医療の仕組み作りを一層進めたいと新たに決意しました。主侍医活動を20年間行ない、医療における安心のポイントや日常的医療の質の向上のためのポイント等を随分勉強しました。その経験と知恵を活かして、今後の活動を強化して参りたいと考えています。サポーター、パトロン、スポンサーのみなさまのお申し出をお待ちしています。

2011年03月23日

東北関東大震災に教えられたこと11 計画停電に思う。魂を売るな、日本の建築家

「このくらいの暗さ、静けさ、肌寒さもいいかもしれないね」

周囲の人たちや、テレビの中でもこのような声を多く聞きました。今まで、平気で電気を使いまくり、場所によっては夜か昼の区別がつかないくらい。六本木や新宿などでは、昼より夜の方が明るく感じられるくらいでした。

多くの人々が「やりすぎていたなあ」と反省しているように伺えます。

しかし、これも時間が経てば忘れ去られていくのだろうなあ、とも心配しています。

幸い僕の事務所や自宅は計画停電の区域に入っていませんが、感謝の意味を込めながら、暖房をはじめ、便座暖房は勿論、自然に点く門灯なども切り、部屋の電気も暗めにしています。自宅はいいのですが、事務所やクリニックの暖房や照明では患者さんやお客さんに迷惑をかけることになりますが、ほとんどの方々は「当然ですよ」と力強く言ってくれます。このようなことが東京のあちこちでも起きているのだったらいいなあと思っています。

 

僕のいる飯田橋では、都内の最後と言われている大規模再開発工事が始まっています。旧東京警察病院をはじめとする大規模ビル(なかにはまだまだ十分に使用できるものも多い)を連日取り壊しています。今も、その解体のための音が聞こえてきます。この10日間、その光景を見るとなんとも切なくなります。東北地方では、家が自然に破壊されたというのに、ここでは、何千何万人と住めるようなビル、マンションを大勢の人手を使って壊しているのです。いずれの解体ビルもあの津波でも倒れそうもないしっかりしたものばかりです。

そして20個以上のビルのあとには、何が出来るのでしょうか?

なんの意外性も無い、マンネリとも言えるくらいですが、またもや超高層ビルが2本建ちます。建築工学の進歩で、彼らは超高層にした方が土地の利用効率がいいといいますが、僕は真っ向から反対です。人間の感性としても、医学的立場からでも。高層ビルは電気消費の塊です。エレベーターがないと身動きすら出来ません。もしかすると単位面積あたりの電気効率は高層ビルがいいと、専門家の反論があるかもしれませんが、その人は人間失格の専門家だと思います。科学的効率だけで人は語れないからです。

東京にこれ以上高層ビルが必要でしょうか?常識的に考えて誰もが判断できるのではないでしょうか?土地を有効活用して、儲けることばかりを考える不動産開発の人々、それに魂を売ってしまう建築家や建設会社。古い建物を大切にするヨーロッパの町並みを綺麗だと言っている建築家たちが、このようなことを容認するどころか、競って設計コンペに参加しているのかと思うと情けなくなります。我々凡人が何を言っても駄目です。心ある力ある建築家が連合して、このような流れにストップをかけてみませんか?

 

しかし、あきらかに「やりすぎ」です。

良識ある日本の建築家を信じています。 

医師たちの間で「手を抜かない」「あきらめない」「やりすぎない」をモットーにする活動をしていますが、いろいろな分野でも共通すると思います。僕は医学の世界で頑張ります。他の分野で賛同して頂く方は、ご自身の分野で頑張ってください。頑張る人がいないと世の中住み良くなりません。勿論、頑張らない人がいてもそれも人生だと思います。

東北関東大震災に教えられたこと10 よく見えた人の本性

今回の未曾有の悲劇を生んだ災害に際し「人の優しさ」「人の我慢強さ」「人を思い遣るこころ」に触れるとともに「非情さ」「身勝手さ」「残忍さ」も垣間見たというお話をお聞きしました。それぞれの人々の「何が大切か?」を見たことになるのでしょうか?

数時間前、震災から1週間目の黙祷を捧げました。

長い長い1週間でした。

僕は日頃「まさかの時に助けてくれる友こそ真の友」より「嬉しい時に、心から一緒に喜んでくれる友」のほうがより上級だと言っています。若干訂正しなければならないと、今回のことで思い直しました。今まで、ここまでの危機感を味わったことが無かったからだと思います。テレビドラマで、可哀想なストーリーを見た時に、泣けてくるのはみなさんも体験していると思います。それに引き替え、登場人物の嬉しいことには、それほどリアルに喜びません。悪いことへの同情、共感は引き出されやすいが、自分が羨むような人のよいことへ一緒に喜びを感じることの方が遥かに発火点は高いような気がします。だからこそ、親友の情の深さは悲しい時よりも嬉しい時に分かると主張していました。

ところが、今回の場合のように、極限の事態の場合は、本性を現すものですね。外資系の企業の多くの幹部は、日本を見限り逃げてしまったところもあると聞きました。さんざん日本の市場を食い荒らしたところほどその傾向が強いようです。従業員をおっ放り出して、自分だけ逃げだした社長もいると聞きました。忙しい時期に重要な事務所スタッフが突然いなくなったと友人からも聞きました。

一方、重病人を抱える病院で、医療スタッフが自分の身の危険も覚悟で居残って働いている姿がたくさん放映されています。有名でもなく大学教授でもない現場の医師たちとスタッフです。一目散に逃げるような医師もいることは知っています。そういう人は自分が安全な時はまるで人道主義者のような発言を平気ですることも知っています。なかなか見破れないのが残念ですが。

リーマンショックや911の時もそうですが、今回の災害を利用して巨富を稼いだり、詐欺をしたりする人もいるというから驚きです。

一方、海外から日本の被災地にボランティア活動に来ている人もいました。感動的でした。

 

悲惨な余裕の無い時ですがよく見ておきましょう。真の姿を。

 

誤解のなきように「退避」と「逃亡」とは違うことを付け加えておきます。

「退避」は「攻めるための勇気ある一時的撤退」だと解釈しています。

 

生前の親父に厳しく教えられました。

「医者になるのだから患者さんには常にベストを尽くせ」

和歌山で長兄が開業して、次兄とともに当直の手伝い等をしていた時です。夜通し急患が運ばれてくるので、兄弟で交代に起きて患者さんに対応しようと打ち合わせました。ところが救急車が到着すると、親父が我々の当直室にやってきて「お前らみんな起きろ!患者さんは真剣なんだ。一人より3人の方がええに決まってるやろ」と怒鳴るのです。親父は医師ではありませんでしたから、長く医療活動を続けるにはこういった交代制も仕方ないと説明しても頑として聞き入れてくれなかったことを懐かしく思い出します。

一方、親父は和歌山の知人や親戚中でも有名な「子煩悩」でした。子供を守るためなら何でもするという迫力は兄弟4人とも常日頃十分感じていました。我々兄弟が全員医師になることを半ば(95%?)強要したようなものですが、その理由は、戦争の時(ラバウルにいたようです)軍医に助けられ(自分も戦友も)かっこいいし有り難いと思ったことと、軍医は安全な場所にいられることを知ったからです。大切な子供にかっこいい仕事について欲しいという願いと、万一戦争になっても安全なところにいられるだろうからという親としての思い遣りという相反する思いがあったのだろうと思います。

昨夜、一昨夜、子供たちとそのフィアンセを集めて連日論議をしました。次男は仙台から無事東京へ退避できましたが、喜びもつかの間原発危機が襲ってきました。友人等からも東京から退避した方がいいのではないかとの温かいアドバイスもたくさん頂きました。「海外の私のところへ来なさい」和歌山の実家でも「何人でも受け入れ体制を整えている」と心強い声が伝わってきます。親としては、子供の安全を最大限守るという責務があります。しかし、彼らも成人して、一人は医師として働き出したばかりです。親の気持ちとしては、想像も及ばないくらいの最悪の事態を空想して、より安全なところへ退避させたく思います。しかし、現状では事実上「逃亡」になります。本人も当然納得しません。

スタッフとも話しました。スタッフの身を守るのも責務、クライアントの身を守るのも責務。小さなことしか出来ない僕にとって、家族、スタッフ、クライアントの身を可能な限り守り抜くというバランスのいい決断を迫られます。

原発についてのより正確な情報知識を得る努力をすること。

それに基づいて、総合的判断をするが、事前にいくつかの想定により場合分けをすることが大切です。

子供たちも、スタッフたちとも、2重3重の緊急連絡体制を敷いておくこと。今のところ、東京では冷静な対応でよいと僕は判断しているので、平常通りに業務はやろう。ただ、独自の判断で、東京より西に退避したいなら拒まない。平常通りの行動の中で、親(代表)が東京を離れているときの緊急事態の場合の行動指針を決めておくこと。関西に避難するときはスタッフも全員引き受けが可能なように準備する。

などなど、細部にわたる取り決めと、大きな心構えを話し合いました。

スタッフとは「主侍医という活動の真価が問われるとき」という認識を持つことを確認し合いました。

 

ここではとても書き尽くせないくらいの、厳しい決断を迫られ胃に穴があくような感じでした。

家族スタッフクライアントの中だけのリーダーとしての判断にこれだけ悩んでいるのですから、国民のリーダーは大変だと共感はしています。でもそれがリーダーなのですから。

 

親父だったらなんというかなあ。「いち早く子供を安全な場所へいかせろ!」「医者なんだから患者さんに全力投球だ、手を抜くな」そんな怒鳴り声が聞こえてくるようです。親父だったら僕には出来ない決断を考え抜いただろうなあと思いを馳せました。

2011年03月18日

東北関東大震災に教えられたこと9 福島原発で活躍の人々への尊敬と感謝

くの国民が、福島原発での最前線で活動している人々に期待に熱い視線を向けています。東電や保安院の幹部も現場に行くべきだとの声も多く聞かれます。

決死の覚悟をして現場で頑張っているのは事実です。

ピンボケの記者が「現場での隊員の健康を犠牲にしているのですか?」とまるで人道主義者であるかのようなつもりで質問していました。この状況下で、厳しい状況も知っている中で、このような質問をするマスコミ記者のマインドレベルに驚きました。そういえば津波現地で水に囲まれた屋根に必死でしがみついている人に向かって「大丈夫ですか?」といっている記者がいましたね。いずれも同様ですが、それらの記者には言っていることとはうらはらに「人のことを心配し配慮してあげる心に欠陥があるとしか思われません。本人は「あなたの健康(からだ)のことが心配です」と言いたいのでしょうね。本当に心配している人は、そんな状況で決してそのような質問や声がけはしません。

福島原発で頑張って作業している人々は、どのように選ばれたのでしょうか?友人たちや息子たちも交えて討論しました。今時有無を言わさない命令はあるのでしょうか?自衛隊ではどうなのでしょうか?僕には分かりませんが、とにかく身体を張って、覚悟を決めて頑張ってくれているのは確かです。中部電力の停年前の原子力一筋で頑張ってきた人が、志願してこの現場作業に加わったという話しを聞きました。家族も「頑張って」とそれを見送ったということです。テレビで放映されたかどうかは知りませんが、感動的な話です。東電の作業員にしろ、自衛隊にしろ、消防隊、警察にしろこの現場に出向いている人たちは、映画の「アルマゲドン」の地球救援隊のような方々たちでしょう。

僕は提案します。この事態を収めることができた暁には、現場一線で頑張り抜いた東電の社員さんは、テレビの前でゴロゴロしていた東電幹部の方々と一斉入れ替えをしてはどうかという提案です。勿論、現場で働く人たちとそれを取りまとめて指揮する人が必要なことくらいは分かっていますが、JALにしろ東電にしろ、その他の大企業でも、おおよそもはやほとんど役に立たない人が、それなりのポストでぬくぬくと高給を貰っている人が少なからずいるということです。そのつけが現場で頑張る社員や消費者に回っているのです。

福島原発はこれからどうなっていくかは分かりませんが、名も無い現場の英雄たちに国民皆が感謝したいと思っています。一段落まで乗り越えたら、そういったチャンスが是非欲しいものです。一人一人のすがすがしい顔をなんとか拝みたいですね。国民のみなさんは、お偉い方々の、偽善に満ちた顔を見るのに辟易している今日この頃だったと思いますので。

東北関東大震災に教えられたこと8「民主自民公明共産党結党の勧め」

前項に続いて、復興10年は、超党体勢で日本を再建していくというくらいの思い切ったことが必要ではないでしょうか。この気の遠くなるような再建活動では、各政党のそれぞれの強いところが全て必要です。今やピュアな「共産主義」のシステムは成り立たないことは世界的な共通見解かもしれませんが、復興においては一部には共産的考えも必要でしょう。富のあまりにも大きな偏りはこれからの成熟した国には向きません。全てが均一では労働意欲がわかないから、頑張ればどれだけでも稼げるという仕組みは絶対必要だと人は言います。僕はそう思いません。「行き過ぎ」は必ず破綻します。極端な話、せいぜい平均個人所得の10倍が限度で、それ以上は99%が税金でもいいのではないでしょうか。「それでは産業は活発化しない」と多くの人に反発されます。息子の一人までから反論されました。「そこを工夫するのが、成熟型資本主義」ではないかと思っています。年間5000万円以上個人的に稼ぎたい方は一体何が欲しいのでしょうか?「命よりこころ」論(ここでは詳細を省きますので、ブログの他の部分をご参照下さい)と同じく「お金より栄誉」論も成立するかもしれません。社会としてのなんらかの工夫で、適切な成熟型資本主義のモデルを作るよい機会かもしれません。

話しは、飛びましたが、昭和の「戦争復興とその後の成長、競争社会」から平成の「欲望の権化化と安穏の入り交じりによる二極化加速と破綻」となり、これから「再復興」の試練が訪れました。やはりキーワードは「競争」から「協力」でしょう。今回の災害では、被災者またはその恐れがある人々と全く難を逃れた人々との決定的な二極化、全て失った人々や身動き取れない人々と余裕のある人々との二極化など、いろいろなところで二極化の権化が発生しました。それを利用して更に強者となるものを許すのか、本当の勝者は人の心にあるという流れが勝者となるのか偏見を持ちつつ見守りたいと思っています。小さな存在の僕ですが、前者は絶対に許さないという毅然とした行動をとりたいと決意しています。

東北関東大震災に教えられたこと7 災害時の報道のあり方への提言

んとこの1週間は長いことでしょうか?テレビは毎日悲惨な状況の報道ばかりで相当タフな人々も精神が参っていることでしょう。それでも、現地の被災者の方々、一線で救助や復旧に当たられている方々のことを思えば、そんなことは言っていられません。

そんな報道を1週間見続け、いくつか感じたことを書いてみます。

 

緊急分担報道体制の可能性は?

地震直後から、ものの見事に各チャンネルで被害の模様をリアルタイムに映像で報道を始めました。そのリアルタイム性にも驚きました。各チャンネル共にいつのまにかCMのない特別報道番組となっていました。この素早い対応には今から振り返ると驚嘆の一言につきます。この素早さが、政府や東電にもあればと思いましたが、テレビを見続けていますと、各放送局がそれぞれ強烈な被害の生々しい画像を繰り返し流します。どこのチャンネルも同じ内容です。安否確認や、救援活動の進捗具合や、インフラの状況や、連絡体制の問題や後には原発の状況や各人にとって知りたい情報は違うのに、とにかく津波の酷い被害状況を何度も見せられてしまいます。むしろそんな画像は見たくなくて、避難場所状況や安否状況や救援活動状況だけ見たい人もたくさんいたはずです。こういう時こそ、各放送局は協力体勢を敷いて、報道分担をするべきではないでしょうか?実際被害状況を映そうとする報道ヘリが邪魔になったようなことを、官房長官は話されていました。普段の報道ではスクープ合戦が大切なこともある程度は理解できますが、未曾有の災害と自ら報道しているのですから、未曾有の放送局分担報道をされたらいかがなものでしょうか?あるチャンネルは被害状況専門でもいいでしょう。あるチャンネルは、原発だけで、専門家も1放送局に一同に集めると、より正確な報道に努めるだけに留まらず、実際の復旧活動にアドバイスできることも可能かもしれません。また他のチャンネルでは、安否情報、避難所情報、インフラ情報、ボランティア情報など被災者に直接的役立つ報道を専門にします。被災者は、津波の映像を何度も繰り返してみたくはないのではないかと想像します。我々のように難を逃れたものにとっても、胸が痛む映像ですから。

 

ついでに政府の指導体制についても分担体制もあるのではないでしょうか?

地震の直前まで、民主と自民公明は醜い(?)争いの渦中でした。さすがに、被害の重大さのもとではそういった争いは引っ込みました。国会の休会問題では小競り合いがありましたが。そして、管総理のもとに、政府として民主党中心に総司令部が設けられましたが、ご存知のように、この広範で甚大な被害に対しては力不足の感は否めず、国民の不安は募りました。ここでも未曾有の災害が起こったのですから、未曾有の体制による対応もよいのではないかと思います。福島原発問題の指揮系統は自民党に任せる、被災者の保護やケアは共産党に任せる、自衛隊等による救援活動は公明党に任せ、民主党は全体指揮と復興活動の計画指揮などとして、各党首はそれなりリーダーですから、分担の決定権を持ち、党首同士が徹底的に連携するというようなプランはいかがでしょうか?

民主党だけではいかにも荷が重すぎます。

東北関東大震災に教えられたこと6 文明に溺れた反省

多くの心ある日本人、知恵ある日本人が、感じたり、気付いたり、実際に発言提言したりしていたこと。

 

こんなに恵まれた生活をしていていいのだろうか?

こんなにいつでもどこでも食べたいものを自由に食べていていいのか

こんなに当たり前のように高層ビルばかり建てていていいのか?

朝から晩まで携帯電話やインターネットにしがみついていていいのか?

24時間開いているコンビニが当たり前としていていいのか?

深夜でもこんなに明るい町でいいのか?

頻繁に「自分にご褒美」でいいのか?

なんでも経済(お金)優先でいいのか?

バラエティ番組優先のテレビに振り回されてばかりでいいのか?

お風呂を2日も我慢できない人間であってもよいのか?

大体において「電気」の存在すら感じない電気依存症でいいのか?

なんでも自分中心、他人とは表面的な「携帯クリック」的お付き合いでいいのか?

 

書き出すときりがないですね。平成の日本人は、老いも若きも人情の面白味が激減したと感じている人は多いでしょう。僕も含め、そう思う自分のこともそういった傾向にあると感じつつ。

「行き着くところまで行って、崩壊して、また立ち直る」という自然の摂理に委ねるしか、人間の心の復興はないと神は考えられたのでしょうか?

それにしても厳しい試練です。

最近は、反省し始めた日本人も増えてきていたのではないでしょうか?

東北の地方の我慢強い対応をみていると頭が下がります。もし、これが東京に起きていたら、我々東京人は彼らのように粛々と耐えられるでしょうか?

2011年03月16日

東北関東大震災に教えられたこと5 勇気付けられる海外からの支援

害ばかりを報道して、救援活動が報道されない、と悲壮に思っていたら、海外からの救援隊の到着風景が報道されるようになりました。なんと心強いことでしょうか?実際には、言葉の問題も含め、指示系統をどうするかなどの難問があるとはいえ、「心強いイメージ」は大きいものです。また、各国首脳の「出来るだけの救援をしたい」というコメントも、いつもは日本から発していることが多いのだが、受ける側になると「有り難いものだ」と涙ぐんでしまいました。各国の新聞報道も日本への悼みの思いと復興への願いが伝わり、これも有り難く感謝の気持ちで一杯になりました。インドの中学か高校生たちが教室を暗くしてロウソクの火を灯しながら「Japan We Are With You」「Japan We Share Your Grief」と書いた紙を手に持ちながらお祈りをしてくれている写真には、目が涙で曇ってみずらくなりました。心汚れていく人々も多い中で、今回の悲劇から、多くの人々の心の中に「本来の慈愛に満ちた人間のこころ」も復興するのではと期待しています。

僕個人にしましても、被災者の家族になるという希有な体験をし、その家族の消息が分かった時は膝をおり、声を被災後初めて聞けた時は詰まって声が出ませんでした。親族、友人から心配の連絡を頂き、気にかけて頂いていることに嬉しく心強く思いました。逆に心細い一人住まいの姪や帰宅難民にはお泊まりいただき、まもなく被災地から戻る息子とその友人を預かります。東京もいつ被災地になるかもしれません。勇気付けたり、人のお役に立とうとする立場でいられる今の自分の運命に感謝し、小さなことでも役立つと思うことを着実にしたいと思っています。十分水も飲めて、美味しいものを頂けるのを申し訳なくも思いますが、感謝しながらそれを楽しませて頂くこともできることの一つだと思います。「今日よりよい明日はない」という本を最近読みました。幸い災害から逃れた人が、粗食でもご馳走でも、ワインでも水でも、小説でもゴルフでも、感謝しながら楽しむことはいいのではないでしょうか。明日は出来なくなるかもしれません。決して刹那的な意味ではなく「今日よりよい明日はない」という平静の自分をじっくり味わい楽しむというスピリッツだと思います。

でも、被災者のために出来ること、今は節電や節電波(不要な携帯電話使用等)が最も大切なようですので、出来るだけの協力をしたいものです。今日の東京は暖かいですが、少しくらい寒くてもいいではありませんか、部屋の中にいるだけで幸せですし、便座が冷たいくらい平気ではありませんか?ドライヤーも自然乾燥か3日や4日に一回の洗髪でもいいでしょうし。また、富裕層といわれる方々には思い切った寄付もお願いしたいと思います。義援金と呼ばれる我々庶民からの小額の寄付を集めることも大切でしょうが、大口の寄付は手続きも簡単で効果は絶大だと思います。

アメリカで難を逃れた石川遼君。昨年の稼ぎの残りを全部寄付してはどうでしょうか?本当の国民的英雄になれます。そして、綺麗ごとを言ってはいるものの、国民大衆からお金をトローリングして、その力で政治家になろうとしているような偽善者のなかに潜む本当の人情を引き出す模範となってみてはどうでしょうか?

 

東北関東大震災に教えられたこと4 原子力発電保安員の記者会見から

震災2日目の朝の保安院の記者会見に立った代表の説明にはいささか驚いたのは僕だけではなかったようです。さすがのテレビ局も途中でその中継を切り、アナウンサーの小宮悦子氏は「災害直後のこの場面で、この内容はいかがなものでしょうか」というまことに適切なコメントをされました。「言い訳」「保身」のための前置き的内容で固められ、中身がまるでない内容が延々と続くのである。この人の個人的な資質の問題もあるのでしょうが、いかにも役所的な無難な回答をする癖が身に付いているのか、上司から言ってはならないことをたくさん授かり頭が混乱していたのでしょうか。さすがに、次回からの記者会見に姿を現さなかったようです。僕は、最近の「何かと人の粗を探し文句をつける風潮(その最たるものが国会議員同士での小競り合いだった)」に、ほとほと嫌気がさしていました。マスコミもこぞってその風潮を鼓舞するから、どの業界も「まあ思い切った決断はせずに、ひとの流れに身を任せて、なにかあればその時の先導者に文句を言えばいい」という「事なかれ主義」が蔓延していました。その延長があの保安員の態度に現れていたのでしょう。「最悪の場合を想定した行動」は、最悪の場合が起こらなければ、「あんな余分なこと、あんな無駄なこと」をしなければ良かったのにと非難されることになります。「結果で決断の良し悪しを判断する」ことが当たり前になっているからだと思います。僕の仕事の「医療決断支援」でも同じことです。数多くの経験から、「どちらを選んでも幸せと思えるようになるまで、じっくり話し合って、内容を検討してから決断の助言に入ることが大切」と思い至りましたが、今回のような緊急の事態では時間がないのでその手法が成立しません。「どんなに恨まれても最悪の状態を阻止する」という気概がリーダーには必要なのでしょう。昔の武士は、それで結果が悪かったら、「腹を切って」いたわけだから、マスコミに叩かれそのため次回の選挙に落選するなら、それはそれでいいと「腹をくくって」はいかがなものでしょうか。

東北関東大震災に教えられたこと3 目立たない現場大衆の底力

更なる被害の拡大に対する懸念のなか、今後の復旧がたいへん憂慮されます。しかし、これだけの被害の中、止まっていた電気が少しずつではありますが、復旧していることに驚いています。昨夜、仙台の息子と携帯電話で肉声を聞くことができましたが、その話しの最中に「あっ、隣の家の電気が点いた。あっこちらも、、、、!!」と早くも電気が復旧しました。息子は運良く、復旧が早い仙台の駅近くの家に非難させて頂いていたからなのですが、それにしてもこれだけの被災の中を誰かが工事をして復旧させているわけですから、現場で働く多くの人の懸命な力のお陰です。オバマ大統領が就任挨拶で言っていた「アメリカの発展は、いわゆるセレブと呼ばれるような目立った人たちでなく、多くの目立たずこつこつと汗水流して働いてきた人々により作られた」という話しを思い出しました。途方もないこれからの復活活動ですが、ほとんど忘れ去られようとしている昭和の戦後の復興の時のように、どん底からも明るく立ち直っていきたいものです。平成に生きる人たちの目に生き生きとした輝きが消えかけていたなか、夥しい犠牲者の方々に恥じないように、人を思い遣り、人のためなら粉骨精神で、滅私奉公という言葉まで生んだ誇り高い日本人の心も復興しなければならないと自分自身を戒めています。これは決して自虐的ではなく、自己の本当の喜びを探そうという意味です。孔子の教えだったと思いますが「どうすれば良いかをしることは大切だ」「しかし、それを好きなことはもっと大切だ」「しかし、それを楽しむものには及ばない」という話しを思い出しました。多くの方の「命」を賭して教えて頂いた「命よりこころ」の真髄のような気がします。

2011年03月14日

東北関東大震災に教えられたこと2 リーダーの大切さ

は困難に遭遇したとき指導者を求めます。多くの人は、どうしていいのか当惑します。困難のまっただ中の人は、「どのようにして逃れたらいいのか」と迷い行動ができません。また、被害者を救済したいと思う人も「どのようにして助けたらいいのか」迷い、行動が遅れます。今回の巨大地震で、テレビのニュースを見ていた多くの人々はまず日本のトップがなかなか姿を現さないことに不安を感じていたのではないでしょうか。地震が起こる以前に、日本人は指導者を求めていました。最近は、マスコミが助長していることもあり、全ての分野において「上手くいかなかった時のクレーム」が激しいと感じています。日本のリーダたる国会議員もそれを恐れて思い切った行動ができません。しかし、この前例がない非常事態ですから、トップが思い切った対策を実行していくことが大切ですし、国民はそれに従い、マスコミは枝葉末節の不具合を責め立てず、大きな流れを大切にしていくという姿勢が大切だと思います。昨日、ようやく総理が「国民みなで力を合わせて乗り切りましょう」というメッセージを自ら伝えました。僕には、遅すぎると感じました。それでも、総理としては、国民の心を引っ張るメッセージでよかったと思っています。それにしても、取材の記者から、枝野官房長官に「どうして総理自ら具体的な質問に答えないのか?」というこの事態においてもマスコミの情けなさを露呈するようなあら探し文句をつけました。このような時はトップは「国民の士気を高めること」が最重要であり、各論はそれぞれの専門家に任せながら進むのがいいに決まっています。勿論、枝野氏は「それぞれの専門の担当者が質問には対応していく」旨を伝えましたが。それにしても、昨日13日午前に登場した原子力安全・保安院の「自己保身、言い訳だらけ」の答弁にはあきれかえりましたが、なにか決断して結果が上手くいかなかった時のことを考えすぎる役人、政治家が多すぎることの現れでしょう。僕たち医療の分野でもそうなりつつあることを反省しなければなりません。そのためには、国民の我々やマスコミの方々も大きく反省し協力しなければなりません。今回は、とても辛い試練ですが、「停電でも、節水でも何でも協力する。「被災者のために少しでも役に立ち大局的に日本を建ち直していくためには」と思っています。勿論、リーダー任せではなく、国民のみなが出来ることから協力して、そして、たまたま被災からまぬがれた人は、暗くなりすぎず、明るく元気に力を貸し、また、有り難く毎日を過ごすことも大切だと思っています。

頑張り抜きましょう。亡くなった囲碁王座の藤沢秀行の「強烈な努力」という言葉が思い起こされます。

東北関東大震災に教えられたこと1 相互の思いやり

震災の翌日、前日より泊り込みのスタッフと手分けして、僕のメインの職務である「主侍医」のクライアントメンバーに安否確認の連絡をしました。幸い、ほぼ全員の方と連絡が取れ、大きな怪我などがないことが確認されました。その連絡活動の際に思ったことは、ほぼ全員から「先生方は大丈夫ですか?」という逆にこちらの安否を気遣うお声をいただいたことです。「患者も医者も笑顔になれる医療システム」を掲げる僕たちにとって、この上もない喜びの言葉です。日頃、このような方々の健康を守ることを職務としている有り難さに、スタッフ共々身が引き締まりました。医師と患者、親と子供、政治家と国民、車と歩行者、お金を貸す人借りる人、被災者と救済者、どちらにも上下や強弱があるように見えますが、「人間同士」であることに違いはありません。そういうものを超えた思いやりが人を動かすのだなあと実感しました。

東北関東大地震、被災の方々にお見舞いとお悔やみを申し上げると共に、直接救済に当たる方々に感謝し、その他の方々の暖かい支援に感動しています。

突然の出来事がまだ夢の中にいるようです。3月11日午後2時45分ごろ、事務所で妻とPC画面に見入っていました。この3月に還暦を迎える友人のサプライズパーティを企画するための情報集めのためです。なんと平和な情景だったことでしょうか。金曜日の3時前であり、事務所の電話もならず、このまま平和な一日、一週間が終わるのかな、という気持ちも芽生えた頃合です。僕の事務所は、契約者の方が、健康上の困ったことや一大事の時に連絡があるから、電話が無いということは平穏無事なよいことなのです。最初は、妻が体を揺すっているのかとも思っていたのが、めまいではないかという思いにかわり、これは地震だと思うまでの数秒がまるで数分以上あったように思い出します。いよいよ揺れが強くなり隣室の事務室へ行き、スタッフ3名と待機。全くといってよいほど、待機以外にすることが浮かばないのです。「心配していた関東大震災がついにきた」と覚悟しました。10秒程度で覚悟してしまうのだから、人間の対応力にも自ら驚きました。スタッフの一人が、インターネットで調べて「宮城が震源地らしい」と叫ぶ。「仙台にいる息子は大丈夫か?」頭をよぎる。少し揺れが落ち着いたところで、テレビをつけてニュースをみる。数分後には「大津波が襲う。東北地方は厳戒態勢を」との報道。東京の揺れのすごさにも驚くが、震源地が宮城の方であり、津波もあると聞くと「一体どうなるのか。息子は大丈夫か?」あっという間にテレビの映像で、凄まじい津波の様子がリアルに映される。夢の中の地獄のようで、現実感がない。すぐに息子の携帯へ電話するも、つながらない。メールも同じ。これは覚悟しなければならない。妻にどのように伝えるか。それを考えただけでも、辛い、辛すぎる。ほんの数分前まで、平和に過ごしていたのに。

 

東京より北の被災地の人々は、おおよそ同じような状況であったでしょう。大きな被害を逃れた人々は、このようにこの2日間をずいぶん昔のように思い出していることでしょう。大きな被害に会われた方々は、現在もなお被害が進行中で、思い出すというどころではないでしょう。

 

被災地にいる息子とも昨夜10時にようやく電話で連絡がとれ声を聞くことができました。他の被害者がたくさんいるのに不謹慎ですが、安堵の気持ちで声がつまりました。僕も知っている友人のご実家にお世話になっているとのことでした。お父さんは牧師さんで、その教会近くだそうです。「神様に助けていただいたのだから、今度は被災のみなさんに出来るだけのことはしなさい。そしてこれからの人生も忘れず、人のために尽くしなさい」妻が伝えました。

 

同様の体験をし、深い悲しみに泣き崩れている方、安堵の涙を出されている方、何かしてあげたいが何も出来ないと地団駄踏んでいる方などいらっしゃるでしょう。僕も、最初は父親として息子にしてやれる最大のことは何か、と考えました。息子の消息が判明し、次は息子の周囲にいる人たちへ何が出来るか、と考えました。テレビの報道をみるにつけ、その次は何が出来るかと考えました。まるで何も出来ない自分がはがゆい。

 

この大地震を通じて、わずかな間ですが、いろいろなことを教えられました。そのことをみなさんに発信することは出来る。僕の本来の仕事を着実に続けながら、せめてそんなことを通じて、お役に立ちたいと思いました。みなさん方も、各人が少しでもできることからしていきましょう。それが大きな力になっていきます。

「東北関東大震災に教えられたこと」を思いつくまま、興奮が冷めやらないうちに書下ろし、ホームページに載せていきたいと思います。

これは僕の本来の仕事「医療決断の支援」の精神にもつながるものと思っています。

(内容に鑑みて、僕の本来の文体ではなく、です、ます調にて書かせて頂きますことをご了解下さい) 

2011年01月28日

アップルのジョブズ健康問題による療養報道に揺れた株式市場

数日前に、このタイトルのような報道が一斉にニュースになった。アップルは今や世界を代表するような巨大企業である。そんな大企業のトップとはいえ、一人の人間の健康不安がその会社の株価を暴落させ、市場全体の急落も懸念されたというニュースに「やはり企業にとってもリーダーが命なのだ」と再認識した。僕の仕事は「主侍医システム」の普及だが、その柱として「主侍医倶楽部」と呼ぶ民間版侍医サービスの研究開発型実践を行なっている。クライアントメンバーの方々は、企業や団体、業界のトップの方が多い。その人がいなくてはその組織が成り立たないような方々ばかりである。

そんな主侍医倶楽部であるが、運営開始当初の20年前には、その会費が会社の経費にならないということで、よく問題になった。その頃はバブルの頃で、過剰な接待がまかり通り、いろいろな企業がゴルフ会員権を買いあさり、タクシー出勤は当たり前、取締役はハイヤー付きといったご時世であった。にもかかわらず、企業のトップの健康管理が経費として認めなかった(今も厳密にはそうかもしれないが)のは、税務当局(その他の日本の国の仕組みもそうだが)の型にはまった思慮の浅い見解だ。勿論、企業や団体にとって、そのトップが今の政治のように、誰がなっても代わり映えしないのであれば、確かに経費の無駄かもしれない。いずれにしろ、その企業のトップの健康管理に関する費用が経費となりうるかどうかは、税務当局が決めるのでなく、株主が(役員会であったり、社員であってもいいが)決めることではないだろうか。株主が、「この人がいなくなれば、先行きの業績が心配だ」と思えば、その人の健康が何よりも最大の資本となるわけで、企業にとってそれを守るために最大の努力をするのが当然であり義務ともいえる。

「健康管理の費用も含んだ」報酬を会社は代表に払っている、との反論があろうが、日本の場合は、それは実態に合わない。残念ながら、社長という重責にありながら(あるがゆえにと本人は思っているのであろうが)、なかなか健康管理には時間もお金も割かない傾向が日本にはあるからだ。特に日本の会社人間は経費は平気で使うのに、ポケットマネーとなると使うのが苦手になる。しからば会社として、会社を守るためにもトップの健康管理を義務づけるような仕組みが大切ではないかと思っている。

アップルのジョブズは、さすがに最高の医療を受けてきたから、大病を乗り越えて今日までやってきたのだろう。そのお陰で、我々はIpadIphoneなどの恩恵に浸ることが出来ている。

皇族だけでなく、「侍医」を持つという「未来の当たり前」をまずは自他ともに「キーパーソン」と認める方々に実行して頂きたいと、(若干宣伝にはなるが)心から願っている。

提供側にもユーザー側にも先駆者がいてこそ、大衆が恩恵を受けるシステムが育っていくものだと僕は考えている。

2010年03月26日

東大卒業式に参列して

昨日平成22年3月25日、安田講堂で行われた東大卒業式に来賓として参列させて頂く機会を得た。各学部から同窓生2名ずつの参列で、マントと角帽を身につけて式のあいだずっと壇上に座ったまま卒業生たちを見守る役割である。インターネットで生中継があることを開始の1時間前に知り、あわてて友人や知人に連絡した。為になるかならないかは別として、一般の方が東大の卒業式の内部をライブで見るチャンスも少ないと思った。間に合ってみて頂いた友人からは「笑顔しか見ていない私たちにとって、寺下さんのやや緊張気味の真面目な顔を久々にみた」「あのマントは自前なの?」「寺下さん以外の来賓の肩書きはすごいのに、、、」などの感想を頂いた。最近、笑うことが少なくなったと思っていたから、友人から「笑顔以外みたことない」と言われて安心した。笑顔が一番の健康管理だし、医師としても患者さんへの一番の処方だと思うからだ。マントは勿論自前ではなく、大学から借りたものである。確かに肩書きはひけをとっていたことは否めない。 濱田総長の告辞のキーワードは「多様性」であった。昔はあまり聞かなかった言葉だが、今日はこの「多様性」は様々な場面で登場する。大学で専門分野を学んだことであろうが、様々な多様性に対応できるたくましさを持って欲しい、ということを強調された。それに応えるように卒業生代表の答辞では、「どうしたらひとつの目的のために多くの人が協力し合えるのか」というテーマを自ら投げかけ、「それはとても難しいテーマだが、それを乗り越えた時に、人々に感動や幸せをもたらす成果が得られる」と話していた。本当にその通りだと思う。価値観が多様化した今だからこそ、人々が協力し合うことが大切である。個人を大切にするあまり、少し意見や信念が異なると心底からの協力が出来なくなってきているのが現在の特徴ではないか。今の日本の政治を見れば一目瞭然である。大抵の政治家は取り敢えず「国民の幸福を願っている」はずである。にもかかわらず、手法の少しのずれから大きな反駁が生まれ、その結果、相手を非難牽制することに労力の大半を奪われているように僕には見える。この答辞を述べた若者のように純粋な気持ちを思い返して欲しいものである。かく言う僕も、自分に言い聞かせた。 卒業式の後の、懇親会で濱田総長とお話しする機会があり、「この数年、学生たちの元気も底打ちし、少し上昇に向かっている気がしています」との嬉しいコメントを得た。最近、僕もそう感じていたからである。日本の先行きの不安もあるが、次世代を担う若者たちも捨てたものではない。彼らを真剣に応援するのが我々の世代の役割であると思っている。余談であるが、「あなたの医療判断学や主侍医の仕事は、手間暇がかかって大変ではないですか。とても必要なことだと思うのですが。(民間ではなく、大学みたいな)うちでやっていかないといけないことですね」と濱田総長より慰めと励ましのお言葉を頂いた。さすが多様性にすぐに対応できる方は理解が早いと頭が下がった。 というわけで、母校の卒業式の参列により、卒業生を励ますどころか反対に学び励まされた次第である。

2010年01月04日

新年おめでとうございます

2009年02月06日

オバマ氏演説に思う

1月20日(日本時間では21日深夜)寝不足になった諸兄は多いことと思う。勿論アメリカ大統領オバマ氏の就任演説である。その後数日の新聞テレビで話題をかっさらったのであるが、そろそろその熱も冷めてきた頃であろうか?最近は英語を使う機会も無く、元々読み書きはそれなりだが会話は苦手な僕にとって、きれいな英語を習うチャンスとばかりに原スピーチを読み返している。最近のアメリカの風潮を嫌う僕にとって「ひょっとしたら、市場原理主義で世界を恐慌に陥れたアメリカが、心の復活を果たして、日本や韓国は未だに物質主義、金銭最優先主義から脱却できないという未来像」が浮かんできたのは僕だけではないだろう。この演説は多分に哲学的な面があり具体性に欠けているという評価もあろう。しかし、さすがに智慧を出して考えたはずの演説内容である。世界中の人々の共感を数多く得たのは間違いない。僕の周囲の人たちも同様であった。個人個人は気付いている。「市場原理主義優先、金銭最優先の頂点に幸せは無い」ということに。しかし、努力して高みを目指すことは人間に取って本能的なものでもある。このことにも言及している。
「仕事より悦楽を好み、富と名声を求める者」を小心者と呼び、「リスクを恐れず、実行し、生産する者」を評価している。しかしその結果有名になったもの(セレブレイティッドと表現、日本ではこの言葉からセレブという僕の嫌いな言葉が生まれた)もいたが、多くは日々の労働の中に地味に埋もれている存在なのだ、と言い切っている。その他演説の中には、これからを生き抜くキーワードが満載である。さすがに知識人が智慧を出し合って考えた内容である。
「模範を示す力」「希望と美徳だけが生き残る」「富んでいる者を讃えることだけでは国は繁栄しない」など、僕がこれからのライフワークと考えている「スーパー医局プロジェクト」の基本理念と全くマッチしていることに勇気を得た。
今後、このHPのブログでこまめに考えを発信していきたい。

 

2008年11月06日

鉄門ゴルフ交流で感じること

数年前から東大医学部の同窓(鉄門倶楽部と呼んでいます)のゴルフ交流会の常任幹事を務めている。50年以上も続いている伝統ある交流会である。初代幹事が清水健太郎(故人)というとても高名な外科の教授であったと聞けば、50歳以上の医師であれば「むむっ、そんな昔から、、」と思うかもしれない。まあ、それほどの歴史あるゴルフ交流会なのだが、顔ぶれはそうそうたるもので、その場に爆弾でも仕掛けられると日本の医療の未来にも影響するのではと、幹事としてはいつもびくびくしている。
そんな中で、先輩や後輩達と交流していて常に思うことは、「医療に対してなんと真摯な姿勢で日々の活動をしているんだろう」と感服することである。よくゴルフをしていると「仕事をしていないね」などと言われるが、僕が思うに「出来る人は何に対しても熱心だ」ということだ。ゴルフに限らず何についても同様であろう。
東大卒の人は、あまり群れることがなく、他の大学に比べて母校愛も少ないとよく言われるし、同窓生と話しても「そうだね」となることが多い。
僕は、関西人のまま一生を過ごそうと高校生半ばまで思っていたのに、結局東京に来てしまった。しかし東大で学んで本当によかったと思っている。その最大の理由(といっても唯一ともいえるのだが)は、同窓仲間だ。人間性だけで仕事仲間を選べば、ほぼ間違いないからだ。優秀であるかどうかは気にかけなくていい。東大の医学部に来る人は、少なくとも受験勉強という狭い範囲においては優秀なことは、既にお国が選別してくれているからだ。そんな優秀な人が、人間性が真っ当であれば、医師として恥じない勉強やトレーニングを十二分にしているはずだから、大切な患者さんを託して間違いのない医師であることになる。
僕は、医師評価の方法論として、一般に言われているような、患者評価、医師評価、その他の医療スタッフ評価、マスコミ評価に加えて、同窓同級生評価を主軸にしている所以である。誤解を避けるため断っておきたいが、逆は必ずしも真ならずで、優秀で人間性のある医師は全国どこにでもいる。たまたま僕は身近なところでコネクションを築いているだけである。
実は、7、8年前までは、ごく親しい医師仲間との交遊以外、僕は医師の集まるコンペにはあまり参加していなかった。休日は、医療関係者以外の交流を深める時間としたいと思っていたからである。その分、いろいろな病院の勉強会などに積極的に参加したり、先輩諸氏の務める病院へ表敬訪問をしたり、医学書の共同執筆をさせていただいたりして, 専門医とのコネクション創りに力を入れてきた。その集大成をTerra Doctor Connections&Allianceと呼んでいる。ただの情報やネットワークではなく、直接的人間関係があるので「Connections」と呼び、患者さんの受け入れをお願いして了解頂いているので「Alliance」と呼んでいる。そんな「Connection」を固めるためにゴルフ交流をとても重宝している。ゴルフでなければ、一日を一緒に過ごすことは滅多にない。本音を聞けたり、無理を頼める仲が生まれていくのである。
読者の皆様に伝えておきたい。使命感に燃えて、きちんと任務を遂行しているまともな医者はたくさんいるということを。東大、京大、慶応をはじめとする最高学府出身の医師は特に傲慢で生意気と思われがちだが、僕の狭い範囲の交流体験では意外と謙虚であるが自信に満ちた愛すべき人たちが多い。「傲慢」と決めつけないで、暖かく真摯な目で見守ってほしい。母校や教鞭をとった大学に比べて他大学出身の医師にお会いできる機会は比較的少ないが、僕の知る限り概して本当に優秀な人程謙虚で使命感に熱い。
日本の医療を支えるために、そんな医師たちにエールを送ってほしいと願っている。

2008年10月30日

妊婦脳出血で死亡、都立墨東病院。ご主人に脱帽。

「救急病院をたらい回し1時間で患者さんは死亡」というような表現で報道された。それを見た読者は当然「ひどい病院だ」と医療批判になる。このような報道の仕方が懲りずに続いているから、「医療崩壊」のマインドは悪化の循環をたどることになる。一体この国のマスコミ人は日本を良くしようと考えているのだろうか?都立墨東病院の関係者から話しを聞いた。実際は主治医である開業医、救急隊、墨東病院の医師達関係者たちみなにより可能性の限りの救急活動はされていた。しかし、より適切な処置をするためのいろいろな可能性を探るために1時間を要した。その間、本来受け入れが厳しい状況である墨東病院でも受け入れ態勢を準備した。患者さんの状態から、母体の救出は不可能だから胎児をなんとか助けようと苦渋の判断をした。僕にはその懸命の努力活動がありありと想像できる。

その様子をしっかり見届けていた患者さんのご主人さんの発言に感動した。最愛の妻を亡くしたばかりのご主人さんが、誰も責めずに現場の医師の努力を評価し今後の医療の発達を願うとの発言である。恨みつらみを言ってくれるのを期待しただろうマスコミ記者のきょとんとした顔が想像できる。一方、その対応に感動した記者達や医師達もいたことは想像にかたくない。つまり、このご主人さんの気持ちは行き過ぎたマスコミを修正し、心ある医師に勇気を与えたことになる。自問自答した。果たして僕はこのご主人さんのような立派な態度をとれそうもないのではと。

自分の身を守ることに必死になっているように見えた医師がヒステリックに「私はきちんと伝えた」と叫んでいる姿が、最初は、僕にはみっともなく見えた。お金や見栄に魂を売っていく医師達とその像が重なったが、実は違うかもしれないと思った。一線の婦人科医として活躍しているのだから安易な道に流れている医師達とは違うはずだ。取材で追いつめられ身を守るため止むなくそのように答えたのだろうと想像できた。

一つのこの事件の中にも、実にいろいろな要素が含まれている。単純に「たらい回しはけしからん]と判断してはいけないし、そう思わせるような報道もよくない。

もう一つ残念だったのは、これは国民の皆も感じたことであろうが、知事と厚生労働大臣の罪のなすり合いとも思える発言だ。僕は個人的に両人の使命感に感服していたこともあるので、特にがっかりした。しかし、これも報道を通じて知ったことである。実際は長い話しがあったのに、その一部分だけを知ると反対のイメージを持つことはままある。これもそのたぐいだと信じたい。

今回の事件のように、患者さんの家族も含めた登場人物全員が善意であるのに、医師達の信義が問われるケースは多い。日本の医療が崩壊の一途をたどっている原因は、もっと別のところにある。真面目に医師らしく命を削って任務を遂行している医師は気の毒にもこういったリスクを負う。魂を売り安易に医師の地位を用いておおよそ医学の道をはずれたことで金儲けに精を出している人こそ医師に中での医療崩壊の原因であるのにこういったリスクを負わない。こんな不公平を理解したら、普通の人はどんな行動をとるであろうか?

勿論、医療崩壊はもっと社会全体の諸問題から生まれ増悪しているのであろう。

僕は医師であるから、「真面目な医師は多い」とか「報酬は悪いのに医師としての使命感が日本の医療を支えてきた」などというと、自己弁護だと言われかねない。断っておくが、僕は既に懸命に働く現場の医師ではない。だから、客観的に医師を擁護もすれば批判も出来ると自分では思っている。

 

最近の医療で考えることは多い。今後この場でまめに発信していきたいと考えている。

 

2008年04月21日

メタボ改善健康指導士養成講座

4月19日、20日と12時間にわたって、「ボディマネジメントコーチ」と呼称することに決まったメタボ改善健康指導士認定講座の講師の一人として参加しました。食育に力を入れている管理栄養士の柏原幸代さんと行動科学理論により「続ける技術」で有名な石田淳さん、脳ダイエットを主催する前田弘子さんの4人が講師を務めました。僕は近著でも書きましたが「結果で判定されない患者医師関係」が大切だと思っています。行動科学でも「結果で強化するのではなく、行動で評価する」ことが大切な原理となっています。僕の事務所のモットーである「academic but practical with humanly」に沿った内容でした。ホームページでも発信していきますのでご注目ください。

www.metabo-kaizen.jp/

2008年01月21日

30年ぶりの東大医学部昭和53年卒同窓会

みなさま、明けましておめでとうございます。ご挨拶が少し遅くなりました。

昨日、1月20日、上野東天紅にて、30年ぶりに大学時代の同級会がありました。30年ぶりということは卒業後初めてということになります。そういったこともあり100人足らずの同級生のうち58名が集まりました。中学や高校でもそうですが、久々の同級会というのは怖い感じがするものです。昔の若いイメージのままの友人が年老いているのをみて我が年齢を感じてしまうからでしょうか。僕は仕事の関係上というだけでなく、性分からも同級生との交流はかなり多い方(高校も中学も)ですが、それでも30年ぶりに会う仲間が多く、数名はすぐには名前も浮かばない方もいました。会場のあちこちで「僕は○○です」「えーえっ?嘘でしょう」「君こそ一体誰なの」的な会話がなされていました。しかし、同窓会とは不思議なもので、2時間もすれば、タイムスリップ現象が行き渡り「おまえはこうだったよな」「見掛はかわったけれど、性分は変わらないなあ」などという会話があちこちで聞かれ、お互いの呼び方も「××先生」という呼称から「××君」と変わっていきました。
久々に会った仲間達とお互いの近況など語っているうちに最近の日本の医療の状況の悪化をなんとかしたいという話しになっていきました。これも僕の仕事がそうであるからではなく、会場のあちこちのグループで同じような会話がなされているのです。そして、単に医者の環境が悪いと嘆いたり文句を言うだけではなく「なんとかしなければ」という使命感を持った人が多いのです。
東大のメリットは、残念ながらその教育内容ではなく同窓の仲間だったと再確認された一日でした。「画一的な授業ではなく、それぞれの先生の哲学的な話しや経験 談をもっと聞けるような授業だと面白かったね。いわゆる教科書的なことはほっといてもやる連中ばかりだったからね」と賛同してくれる仲間が多かったことも印象的 でした。
いずれにしても同級生達はいろいろな形で活躍してそれなりの地位にいるわけですが、いくら要職にいようとも個人の力ではこのような医療崩壊の流れを食い止めるのは到底不可能です。
「お前が一番近いことをやっているのだから、仲間をまとめてまともな医者の声を反映するようなことをやれ」というようなことを何人からか進言されました。最近の医療や教育を始めとした日本の空虚な流れになかばあきらめの気持ちが台頭しかけていた僕にとって「もう一働きしろ]という天の声かもしれないと身を引き締めました。

これを機会にもっと頻繁に会おうと皆で盛り上がりました。僕のスーパー医局プロジェクトでも同級生や同窓生はお膝元になりますので、何か貢献できればと思っているところです。

2007年12月13日

集英社be文庫「私を救う医者はどこ?」

ドラマ仕立てで、私の日頃の医療判断活動を描いてみました。
いわゆるマニュアル本より面白く読めると思いますので、是非ご一読ください。
12月14日より書店にて並ぶと思います。620円です。

http://www.s-woman.net/books/
http://books.shueisha.co.jp/special/tachiyomi.html

2007年08月15日

楽しくできる、「脳と心臓を守る予防医学」

最近、健康管理を直接的に担当していませんが友人としてテニスやゴルフや飲み会などを楽しんでいた仲間が続いて倒れました。その中の一人である宿沢さんは有名な方で、皆さんもご存知だと思います。少し以前になりますがひどい脳出血で倒れた親友Aさんは、偶然にもすぐに(秒単位で)私どもと連絡がとれ、仲間の脳外科医が適切な処置をして今は、もとよりも元気に一緒に楽しく遊んでいます。数年経った今でも、思い出すと胸が痛みます。でも、今はタバコも止めて、きちんと私のクリニックに来て薬もまじめに飲んでいます。彼のように、偶然結果がよければ、今後の警告になった、ということになりますが、たいていは後の祭りです。私は民間版の侍医である「主侍医倶楽部」を運営していますが、このメンバーになったからと言って、どんな救急状況でも理想の医療を受けられる訳がありません。その人の運命に依存します。しかし、ここが大切なところですが、理想の予防医学的行動をとることはできるということです。目に見えない予防医学的行動こそ、イメージの世界です。それができるのが本当のインテリです。でも、私も含めて「痛いめに会わないと、なかなかわからないし、予防医学は目に見えないし、楽しくないし、それなりに時間もお金もかかる」と思っています。 私は、大切なクライアントや友人や家族の健康を願っているプロの医療判断専門医です。親しい仲間を無くさないためにも、なんとか楽しく「脳と心臓を守る予防医学」の実践をできないものだろうかと日夜考えています。私どものクリニックの生活習慣病外来患者さんには「TERRA養生シート」と呼ぶ、一日一行日記を付けていただいています。友人でもある患者さんと「今日はここに○をつけるために、お酒を控えよう」と語らいながら居酒屋で軽く(??)一杯やることもあります。 主侍医倶楽部クライアントの皆様、友人、知人の皆さん、「TERRA養生シート」仲間になりませんか?詳しくは、クリニックの保険診療の説明欄をご参照ください。

2007年01月15日

安心と幸福の医学 医療決断ということ、「患者様」が日本の医療を崩壊する

かかりつけ医からの便り  暮らしと健康(投稿中)
 
安心と幸福の医学 医療決断ということ、「患者様」が日本の医療を崩壊する
 
皇室の侍医のように、健康なときから身近にいて、さまざまな医療決断をサポートしてくれる医師患者システムが究極の安心と幸福の医学だと自ら実践して16年になります。その経験から、最近の日本の医療が進んでいる方向に非常に危機感を感じていることをお話したいと思います。
人間のあらゆる知恵は「幸福」を求めています。医療も勿論、人々の幸福のために発達してきただろうし、多くの医師や医療人はひとの幸せのために貢献したいと日夜頑張っています。しかし、日本の現状はどうでしょうか?「医療不信」という言葉に代表されるようなマスコミ報道が絶えません。その影響で、日常診療でも「挑戦的な患者」「怯え構える医師」という不思議な構図が生まれつつあります。数年前から、こういった傾向に憂慮していましたが、「まさか日本は大丈夫」という大方の声に杞憂となることを期待していました。しかし、残念ながらその傾向は強まる一方で、使命感に溢れた医師たちはそのエネルギーを削がれ、自己利益に聡い医師たちが台頭し始めたと言わざるを得ません。前者は「患者様」と呼ぶことに違和感を感じている医師たちで、後者はにこにこと「患者様」と呼び、医療もサービス業なのですよと我が意を得たりと平然としている医師たちです。極端な意見で、反論もあろうかと思いますが、象徴的な例えと理解してください。
そもそも病気になることは、生活習慣病のように自己責任であったり、運命のいたずらであり、少なくとも医師の責任ではありません。当たり前のことです。また、医療はとても不確実な世界に存在するものです。「必ずよくなりますか?」「そんなことはありえません」我々生物は、とても残念なことですが、老化という逃れられない「一種の病気」の元に、様々な病気や怪我に遭遇します。厳密な意味では完全に元に戻る病気はないでしょう。
このような難しい世界にもかかわらず、日夜奮闘している愛すべき医師たちが私の知る限りでもたくさんいます。ひとは困難に遭遇したときには指導者を求めます。病気という困難を乗り切るために、医療医学の専門家である医師に知恵を求めるのです。学問を教えていただく教師には「先生」と呼んで尊敬し信頼してこそ深い学びが出来ます。自分の健康回復のために尽力してくれる医師を「先生」と呼んで尊敬し信頼してこそ病気回復の知恵を本当に活かすことになるのだと思っています。これは医師の傲慢とは程遠いものです。むしろ、表面的には「患者様」と愛想笑いをして魂を売り渡し「商売商売」に走っている医師こそ傲慢なのです。
皆さんの身近にも立派な医師はたくさんいます。「患者様」と呼んで貰うことではなく、むしろ心から「先生」と呼びたくなるようなかかりつけ医を探し当てたら、「幸福と安心の医学」を手に入れたことになると思います。日本の良き医療は、官僚やマスコミではなく我々国民ひとりひとりが創り上げていくのです。

2007年01月13日

「衣食住」は人間の生活の基本と言われます。

「衣食住」は人間の生活の基本と言われます。これに「医職Jeu」を加えて、生活の6つの基本と私は提唱しています。「医」は勿論、医学医療で健康な生活を送るために必要なことで、「職」は「人に貢献するために働くこと」です。「Jeu(ジュ)と発音」はフランス語で「遊ぶ」という意味です。人生にとって遊びはとても重要です。広い意味では「遊ぶ」ために生きているといっても過言ではありません。

また、従来の「衣食住」を私は「生物学的衣食住」と呼んでいます。寒さや暑さ、様々な外敵から身を守るために衣類をまとい、生きていくために食べ、夜露を凌ぐために家を作り住みます。しかし、今やそれだけでなく、おしゃれとしての「衣」、人間の触れ合いの場としての「食」、ステイタスや楽しみとしての「住」が大切になっています。私はこれらを「社会学的衣食住」と呼んでいます。

「生物学的衣食住」「社会学的衣食住」「医職Jeu」の知恵を身につけることは、人間としての基本的教養ではないでしょうか。その中でも中核をなすものが「食」であると私は考えています。「食」は、健康に生きていくための知恵である「医」とも深くかかわりあっています。楽しく美味しく食べるということは「健康と幸福」のシンボルではないでしょうか。そういった理由で、日本でも「食育」を子供達の教育の中に取り入れていこうと政府主導で動き始めています。我々は「大人のための食のエキスパート養成活動」により社会貢献をしていきたいと願っております。

こんなことを考えていたところ、管理栄養士で食育に造詣の深い柏原幸代さんと生涯学習の全国的講座を運営している前田 出さんと出会い「健康・食育認定講座」を開催することになりました。2006年は東京で4回大阪で2回(2級、1級)講座を開催して認定者も増えつつあります。詳しくは、上記ホームページをご参照下さい。

2006年12月22日

スーパー医局始めます:医療崩壊にストップを!

スーパー医局への夢
 
医療の仕組みづくりの提案と実践を続けてきた。結論としては「安心と幸福の医学」のためには「善良で優秀な医師の活躍」が不可欠である。しかし、マスコミに煽られ「患者様と呼ぶ」ということに代表される医療のサービス産業化が決して良い方向に向かってはいない。
善良で優秀な医師はたくさんいるが、そういうドクターが、安心してやる気を出して働く環境が脅かされてきている。一方、「患者様」と呼んで、心は「商売商売」または「権威主義」の医師が大手を振っているのが現状である。
私が、今まで出会った善良かつ優秀な医師に声をかけて理想の医局を作り上げることにより、日本の医療の向上に貢献することをライフワークとしたい。
 
 
使命)
善良優秀な医師が日本の医療の向上に更に活躍できるような場を提供することを使命とする
患者医師の信頼関係の回復を使命とする
寺下医学事務所のライフワーク業務として行う
職業的交流倶楽部という位置づけを明確に
理想的模範的な医局であることを常に意識する(本来の医局の機能を充実進化させたもの)
 
具体的活動)
有能な医師の知恵を伝承(医局の本来の目的である弟子への承継)
使命感ある医師の意見を世の中へ(まじめな小さい意見をきちんと伝える)
患者医師のマッチング(より専門性の高い、より患者の要望にあった最適医師を探しマッチング)
   安心、信頼の医療の道しるべ的役割
   貴重な医師のリソースをより有効効率的に
専門医同士の患者紹介をスムーズに(信頼しあえる仲間同士の簡便な相互紹介システム)
専門医同士の知恵の交換と交流で心強い(同じ思いを持つ医師のサークル的な楽しい場として)
 
運営母体と運営資源)
寺下医学事務所が運営
医局メンバーへのエージェント業務を生業とする
  主にスーパーファーストオピニオンのエージェント業務
  その他執筆依頼、講演依頼などのエージェント業務
 
医局費など固定会費なしでも運営できる仕組み
事務局よりの仕事を受託していただいたときに2、3割程度の医局運営費を源泉することにより医局全体の運営費に充当する
 
医局員の義務
事務局及び他の医局員からの患者紹介を快く受け入れる
スーパーファーストオピニオンの要請があれば引き受ける
一時的主侍医の要請があれば引き受ける
その他執筆や講演の要請があれば引き受ける
後輩の育成のための活動(教育セミナーや談話会)をする
仲間との交流を楽しむ
 
以上のいずれかひとつ以上を承諾してくれる方
 
医局員への参加資格(研修医・医学生会員も準ずる)
幹事医局員2名以上もしくは医局員10名以上の紹介を必要とする
幹事医局員全員の承諾が必要
医局員2名以上の反対がないこと
 
医局員の楽しみ方、活用の仕方
患者紹介先専門医情報の検索と紹介
紹介希望患者の医局員への広報(例:早期胃がん患者の紹介希望など)
主侍医業務や医療判断外来(SFO)をやってみたい方へ、クライアント紹介
倶楽部内サークルに参加したり、新しいサークルを作って趣味の世界を開拓
個人的勉強会メンバーが同時にに入局し、事務局を委託することにより幹事役の手間を軽減
定例交流会や常設サロンで仲間と語らう
 
寺下医学事務所が業務として運営できるような仕組み
SFOを広く行えるように広報
一時的主侍医など医療判断サービスの拡充
寺下医学事務所が運営する「主侍医倶楽部」の拡充へのお手伝いを
企業や個人の賛助会員を適切な運営を妨げない程度に募集
以上のような構想を考えています。周りのメンバーの人に声をかけるか事務局スタッフの紹介でご参加下さい。